断捨離PDCA〜服を捨てたその後のひとりごと〜【駄文】
服を捨てたその後について反省
モーニング記事ばっかり書いている最近の私。また部屋が散らかってきている。モーニング食べてる時間があったら片付けろという正論はさておき先月に行なっていた服の断捨離PDCAのAアクトに当たる改善部分について思うところは色々あった。適当に思ったことを羅列していく。
過去記事↓
気づいたこと
使わないものは大事にしまっているせいで綺麗な状態である。この状態が良いのか悪いのかは未来の自分にかかっている。これから先も必ず使うので(使う予定があるので)大事に保管しているというのなら問題ない。
私の場合はそうじゃなかった。あんまり気に入っていない、使う予定はあるかもしれない、ただ処分するには勿体無いので保管している。このパターンがほぼである。 汚部屋が全ての不安やモヤモヤの原因だとは思っていないが、元の原因が必ず他に存在していてそれが表に出た結果、汚部屋に繋がっているのかもしれないし、それを整理することによって気づけるのかもしれない。だから、断捨離したいって考えている自分がいる。
なんか、回りくどいことを言っているけれど、ただ嫌なことから逃げているだけな気がする。笑
制服化が恥ずかしいという文化は昔の話。
断捨離後は気分的にスッキリする反面、なぜか不安にかられることは多かった。物理的にはクローゼットの中に隙間ができたので服の出し入れが前よりしやすくなった。寝室に置いてあるものを片付けることができたので動きがスムーズになり生活しやすくなったのは大きな利点だった。服はだんだんと制服化してきて悩むこともなくほぼ同じパターンの服を着ることになる。
無職なので遊び用の外出の服も同じになっているため、先日会った友人には「また前と同じ服じゃない?」などと言われた。私の服装を覚えている友人の記憶力に驚愕する一方、そこまで私のことを見てくれているのだと思うとなんだか嬉しい。笑→そうやって前向きに捉えれば、周りの目もあまり気にならなくなるんじゃないかなと考える。(友人や、大切な人に限る話だけど)
服は毎日違う柄を着なければいけない的な文化は、小学校とかで
「○○さん、また昨日と同じ服を着てる」とか
「あの子またあの服着てる」とか
「ちゃんと洗濯してるの?」とか
言われて「貧乏」だの「汚い」だの、いじめられる対象になってしまうが故に植えつけられた文化だと私は思っている。そんな人たちだって中学高校と制服を着て学校に行くくせに毎日制服を洗うのかと問いたい。小一時間問い詰めたい。(ゴルゴのフラッシュ動画を思い出したので言いたかっただけです。すみません)
結局気に入っている服だけが残っているのか?
それはさておき、結局数は減らしたもののお気に入りだけかと言われればそうでもないのが現実。強いて言えば「外に着ていける服」というだけなのだ。だから自然と使う服だけがクローゼットに収まっているというのは理想なのだけど、心がウキウキするのかと言えばまたそれは違うお話。やっぱり服を買いたいと思ってしまう。ミニマリストとはほど遠い人間なのだな。私。
なので、何も考えずに買えばまた同じことを繰り返してしまう。そこはきちんと改善しなくてはいけない。偉そうにPDCAなんて使うものだから自分の首をしめてしまったようなものだけど。
ルールだけ決めとこう
なんのためのPDCAなのかと私自身に小一時間問い詰めた結果、買うときのルールだけは決めておくことにした。何も服は買ってはいけないものではないですからね!
あんまり細かくルールとか作ると、変なところで完璧主義が出てすぐ挫折するので、服を買うときの縛りを設けることにした。
捨ててから買う。(その個数分のみOK)
これだけなら今以上に増えないからね。買ってからだと本当に不要の服ならぽいっと捨てられるけど、多分また増えて行く一方になるので捨ててから買うことにする。適切な服の量はまだミニマリストとはほど遠いけれど、着実に減らせていける気がする。習慣にさえなればあとはこっちのものなのだ!