【職業訓練】自己PRを書いたらモヤモヤするの巻【駄文】
キャリアカウンセリングの授業
今日は職業訓練のキャリアカウンセリングについて書きたいと思います。というよりも今回はとても「モヤモヤしてイライラに近い」変な気持ちになってしまったことを書こうと思います。
私は基本的にこの授業が好きでした。私自身のことを客観的に知ることができるからです。一種の心理テストのようなものなので、女性なら結構好きな人もいるのではないかと思います。
自分自身はまだこの感情についてなぜそんな気持ちになったのかはっきりとした結論と対策が出ていないのでこのことを今書くのもどうかと思いますが、いつか自分の感情を肯定できた時に振り返り用として書いておきたいと思います。
自己PRにて自分のことを掘り起こす作業
前回の職業訓練の記事の中で↓
実際の実習の他に就職活動に関する授業が組み込まれている旨を書きました。
大まかには
- ビジネスマナー(名刺の渡し方や挨拶の仕方など)
- 自分の性格、強みについて
- 応募書類の書き方
などなど訓練期間中に何日かカリキュラムに入っています。
その中で応募書類の書き方として、自分の強みを書き出すという授業があります。
転職する際には、履歴書の他に自己PRなどを含めた職務経歴書が必須です。
職業訓練に来ている人は、働いたことのある人が集まっているところですので自分の経歴を書くことはもちろん持っているスキルや強み、自己PRを書くことになります。
授業では過去を振り返り自分自身が頑張ってきたことを書き出してそれを強みにしてさらに書き出すということをしました。
エピソード→結果→得られたこと
というふうに書いていきます。この辺りはネットにも載っていそうな内容です。
ただ実際書き出すとなると、かなりひねり出さないと私はなかなか思いつきませんでした。
実際書き出してみた
時間を区切っていくつか書き出していくのですが、まぁ私の思いつく内容というのが本当にしょうもないことばかり考えついてしまうのです。w
私は前職でのうまくいかなかったトラウマを引きずっているせいで余計なのでしょうか。自分の強みの部分を考えようとしてもマイナスばかり出てきてしまいます。
でも無理やりに書いてみました。
すると実際書いてみた時に「結論→得られたこと」に繋がっていく流れはなかなか面白いなと感じました。一つの頑張った出来事(エピソード)が、結果的にここに繋がっていくのかというようなことも書き出せていたのです。
例えば
- エピソード
学生時代にイヤイヤでも続けていた習い事を頑張って継続させた
- 結果
習い事が上達した&下の学年の子の面倒を見たり教える立場になった
- 得られたこと
継続したことにより、習い事の上達プラス人の面倒を見て教える立場となり、教える楽しみや難しさを知り習い事そのもの以上の経験を得ることができた。
↑上記の例は本来先生が意図していたものと一致しているのかどうかは定かではありません。今無理やり私が引き出して書いたものです。これを社会人バージョンで書いたりしたものを実際の自己PRや強み、志望動機などに活用していきます。
文章にしていくとなぜか不安が湧いてくる
無理やり書いたせいでしょうか。なぜか自信がなくなってきます。
こんなふうに書いてみたけど実際自分はこんな強みがあるのだろうか。
という疑問が湧いてきます。自分のこととなるとなかなか客観視できません。人に評価されることと自分が思うことが一致して初めて自信を持って書けるのではないか。などどうしても第3者の目線が欲しくなるのです。自分自身のことなのに、なぜ人の評価が欲しいのでしょうか。
それは自信のなさからきているのは明白ですが、その感情を肯定したとしても何か納得できない自分がいます。
書き出せたら授業は終了。あとは各自で書類作り。
その後もこの感情を引きずったまま書類作りの作業に入り、授業は終了しました。
書き方で不明なところがあれば先生に各自質問するというスタンスです。
書き方の不明な点を解消することも大事なのですが、私の中ではこの急に湧き上がってきた不安感が一体なんなのかを突き詰めたい衝動に駆られてしまい、あまり作成が進みませんでした。
現段階で考えるモヤモヤの理由
①満たされなかった過去の承認欲求
今の段階で私が思うモヤモヤの不安感は、きっと書き出したことで過去を思い出し、自己PRに書いている内容ほど人には評価されていなかったことが自信のなさに繋がっているということが分かりました。私はよっぽど人から評価されたかったのでしょう。
これは前職や一番辛かったコールセンターで働いていた時のことをトラウマのようにして感じてしまっていることが大きいのだと考えています。仕事の失敗であったり、人間関係、思っていたより仕事ができないと感じる自分の無力さ・・・。
ただ実際のところは全く評価されなかったことはなかったはずなのです。
小さなことから思い出せば、お客様からのありがとうという言葉一つや、上司からの労いの言葉や、直属の先輩からの褒め言葉といったプラスの面も大いにあったのです。決して承認欲求が満たされていないという訳ではないはず。なのに満たされていないと感じている自分がいます。
②どこかで「決めつけた」考え方を植え付けてしまった
どうせ「私はできない」などという考え方になっているのかもしれません。私は評価されない人間だと卑屈になってしまった30代前半を過ごしてしまったのかもしれません。先生曰く、35を越えると顔に性格が現れるそうなので、私は卑屈になっているのかもしれません。確かにこのモヤモヤは卑屈だから出てきたのかもしれません。
〜かもという言い方をしているのはそれを認めたくないからです。w
③先生に自分の応募書類について相談したいと思えない
これがまた卑屈な点だと思います。これは職場でも同じで、自分が相談できる人とできない人っているじゃないですか。(もちろん質問する内容にもよる)
キャリアコンサルティングの先生なので、こんな気持ちになっても書き出したことについて何かアドバイスをもらいたいと思うのがいつもの私なのですが、なんとも言えない気持ちになり相談できないと思うのです。先生に人だかりができるので遠慮している面も無きにしも非ずですが、それは表面上の理由。
なんというか、こう、「決めつけられて喋られそう」と思ってしまうのですね。いつも授業中や個別相談などで「あなたはこういう考え方をする人」「このクラスにいる人は○○な人が多い」「態度や行動である程度わかります」などと言われます。
心理学を勉強されたり、人事の経験や数多くのカウンセリングをされている人なので、きっとおっしゃっていることは合っているとは思いますが、なんか納得できないこの感情はきっと私の卑屈から出てきている感情なのでしょう。
あぁ総じて私はやっぱり卑屈になっているw
モヤモヤのまとめ。
こうやってブログで書き出してみたところ原因は私は卑屈で承認欲求がハンパないということまでは気づくことができました。w
解消方法として、今の感情を逆に考えると、素直に心を開いて人に相談しながら物事を進めるのがベストな気がしています。もうちょっと自分を俯瞰的な目で見れるようになりたい。そうすればきっと、この卑屈な感情すらも肯定できるような気がします。
この気持ちがどうなったのかはまた後々に事が進んだ時に書いていこうと思います。
気晴らしに我慢していた買い物でもしに行こう。などと考えつつ。
まさか、ただの物欲に対する欲求不満が原因だったりして・・・。