当たり前であることに感謝する7月。
7月は異常気象の月だった。
気がつけば7月も終わりですね。7月は頭から西日本豪雨があったり、急な猛暑で熱中症になる人が増えたり、先日は台風がきたりと。
私も豪雨の時は電車が動かなくなる可能性があったので早めに切り上げて帰ったりしていました。6月の大阪北部地震の時から何かと自然災害で電車が止まることが多くなったので、時間通りに電車が動くということに安堵を感じるようになりました。
失ってから当たり前が大切であると気づく。
当たり前であったことが当たり前でなくなる時に。
水が出ること。
電気が通っていること。
ガスが通っていること。
プライベートな空間があるということ。
衣食住が整っているというこんな当たり前のことも突如として無くなってしまい使えなくなる時が来た時。
不便であることを目の当たりにして、当たり前が大切だったと気づきます。
例えば、家族や友達も元気でいることが当たり前であったなら、病気で入院したり、亡くなったりしてしまって改めてその大切さに気づくようなことってよく聞く話ですよね。
人間関係や仕事、日常的な悩みというのはキリがなくて毎日何かしら悩んでいたり、時にはとても苦しい時もあって、当たり前に存在しているものに感謝する余裕なんてないんだけど、やっぱり災害や人の命に関わるような出来事が起こると色々と思うことが出て来るんだと思います。
言葉や話で聞いていても、本当のところ経験してみないとそれはなかなか実感として湧かないのが現実なのだと思います。
私自身も、23年前に被災したからといって、23年間毎日毎日地震が来たらどうしようとか考えていないですし、こないだ地震が来たから思い出して何か備蓄しておいた方が良いなと久々に考えたくらいなので、大半の人はそうではないかと思うのです。
考えすぎもダメだけど理想論でもいいから何かする。
災害が起こるとその度にもっと防げなかったのかという問題点がテレビなどで特集を組まれたりすることがあります。河川の氾濫などで何度も浸水している地域があったりして被害にあっている住民は分かっていてもなかなか行政が動けなかったりしていて、被害が繰り返し起こっているという現実があります。(福知山だったかな?)
災害なんて、どんな規模になるのか想定以上になる事も多くて起こってからでないと対処できないのが現実としてあります。それでもやっぱり多少なりとも危険性があると分かっているのならその点だけでも今できる範囲で対処しておくのが理想だと思うのです。(それが不十分だったから浸水したのが前述の被害だったのだけど・・・)
こんな風に理想論を言いながら、当たり前に過ごせるというのは実はとても幸せなことですね。理想だけでなく、日常的に仕事でも家事でも自分にできることは理想だけでなく行動して行けるよう過ごしていきたいと思う7月でした。