【紙製の】本が捨てられない話
Kindleってなに?
私は昭和生まれのせいかKindleとかそういうタブレットで本を読むという習慣がない。だけど、無料の漫画アプリとか、「今なら無料」と書かれたアプリ本をダウンロードして読むことはある。(結局どっちなんだ!)
断捨離を始めると、自動的に本の整理が入ってくる。だって読まないものも置いてるからね。だから見直したくなるよね。
今私の手元には文庫本が10冊ほどあってその処分or保管方法に悩んでいる。掃除本とか自己啓発系の本とかエクセルの本とかジャンルは定まっていない。どのジャンルもまだ置いておきたい気持ちがあるから処分していない。だからこれらの本を全て持ち歩くことなくタブレットで読めるようにしたら便利だというのはすごくわかる。保管に悩むことも一切ないからね。実際使ったらとても便利なんだろうしなぜもっと早く使わなかったと後悔しそうな気がする。
と、ここまで書いて置いて「本が欲しい」とはどういうことか。
会社の資料なんて紙だらけ。
今はもうやりとりとか資料とか売り上げだとか社内LANが繋がっててペーパーレスな訳だけどやっぱりまだ紙でのやりとりというのはあるわけで。IT業界のことは知らないけどきっとアプリやらなんやらを使っていて会議も参加者全員がパソコン持参でやってるんだろうね。私はそういう会社で働いたことがない情弱なので詳しいことは知らない。
どちらかというと昔から存在している会社で徐々に社内インフラが整っていったという感じのところでしか働いたことがない。なので会議に参加するときは紙の資料を持っているのが必須である。あと、メモ帳。会議ではプロジェクタで画面を写して説明役の人がパワーポイントぽちぽち押しながら進めたりしている。
んで決まったことをメモしたり、落書きしたりして過ごしたりしていた。
進行する役の時なんて会議の意味もわからずなんのことを言っているのかと思いながら進めていた当時の私は怖いもの無しの状態であった。笑
あ、話が脱線してしまった。
言いたいことはメモしたり落書きしたりするということが私には必要ということ。
パソコンは大好きなんだ!
私はパソコンを触るのが好きだ。ほぼネットしか触らないけどそれでも好きだ。こうやって文章を打っているのもパソコンである。でもこんな時でもやっぱり考えたり何かする時っていうのは紙にペンを滑らせて文字を書きたい。しょうもない絵も書きたい。そうすることで頭の中が少し整理されるからだ。書くのとパソコンだったらパソコンの処理の方がとてつもなく早い。ポンポンと検索したいことの結果が出てくる。
ただその分自分の頭を使わなくなった。(ただの老化かもしれない)
検索したら答えが出てすぐに解決する。ことについてはよくなったのだろう。
今なら小説や漫画などじっくり読みたいという時間がない人にはあらすじやオチを載せているサイトがいっぱいあるからそこで大体の内容がわかってしまうくらいだから内容を知るにはもってこい。時間がないからそれでOK、便利なんだろうけどやっぱり頭の中には残ってこない。感動も薄い。アプリで全内容が書かれている漫画本を読んだ時にも同じような感じだった。面白くないから残らないとかそういうわけでもなさそう。
紙をめくる行為と指でスクロールさせるという操作性は変わらないのに。なんだろうか。習慣がそうさせているのだろうか。(ただの老化かもしれない)→2回目
言いたいことは紙をめくる行為が私には必要ということ。
老化?!だけが問題じゃない
新しい文化や状況についていくのは今後生きていく上でも重要なことである。年齢を重ねると今までの習慣や経験で行動していくことが多くなり新しい物事への順応性がなくなっていくからなおのこと。だけど自分が必要だって思っていることまで全てをへ新しいものに変えていくという必要性はないよね。
断捨離で判断が鈍くなってきたら好きか嫌いかで判断するっていうのはこういうことなのかもしれない。だから本はボロボロでも、ノート類が多くても好きならそれは残しておこう。私は紙ものが大好きなのだ。
本を捨てる時が来るときは、私が本を嫌いになったときなんだと思う。